hikarihe




写真提供は神戸市在住のmum氏
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岩を登る。
呼吸が荒くなる。
胸が苦しくなる。
手で岩を掴み、枝に体を預ける。
時には上から流れ落ちてくる水に足を浸し、
濡れた岩に足をとられながらも 光をめざし、
手に足に体にあらんかぎりの力を集めて、上へ上へと進む。
今登らなければ、永久に光の世界へ戻れないかも知れないのだから。


      *     *     *     *  


 ひと月ほど前、紅葉が始まりかけた頃、雄介が高校の校舎から見えるこの山へ来たのは、ほんの軽い気持ちからだった。
 持ち主のわからないこの山は、雄介の住む町の住人に恐れられていた。何か理由があるわけではない。人間を拒んでいるような雰囲気を持つ山に、だんだんと人が寄り付かなくなったと雄介は聞いている。
「理由はあるんだぜ。お前、知らねえの?」 同級生の健二が弁当を掻きこみながら、馬鹿にしたように言った。
 この高校には、天気の良い日は、気のあった者同士が屋上で弁当を広げる習慣があり、 そんなある昼休みに、くっきりと見えるその山を眺めながら出た話題だった。
「教えてやろうか」 得意げな健二の顔にムカッとして、「いいよ別に教えてくれなくたって……」 と雄介が言いかけたとき、「面白そうな話ね」 と背後から顔をのぞかせたのは、クラス一、いや、学校一の美人と言われている遥だった。
「あの山に、人間が近づかない理由があるって、健二が言うから……」 雄介がもごもごと返事をした。
「理由なんてあんの?」
「もちろんあるさ。オレ知ってるんだけどなぁ。こいつがビビると困るからよう、教えてやろうかどうか迷ってるのさ」 と健二は雄介のほうに顎をしゃくった。
「教えてよ、ワタシはビビんないから。それにユウスケだってほんとは知りたいよね」
 いつも遥に心のうちを見透かされているような気がして、ユウスケの顔が火照った。遥の前では無口になる自分が嫌だった。
「ハルカがそういうんならさぁ、教えないわけにはいかないな」 健二の顔はますます得意げになる。
「実はな、あの山で行方不明になったのが、この十年間で何人もいるんだってさ。それに記憶喪失のジジイやババアの迷子がゴロゴロいるらしいぜ。ま、ゴロゴロってのは大げさかも知れねえけど。道にでも迷っておかしくなったんじゃないかって噂だ。もしかすると山の主か化け物にでもたぶらかされたのかもな」
「道に迷うような山かよ。それに山の主だって? お前そんなこと信じてんの?」  今度は雄介が馬鹿にしたような声を出した。
「フン、信じなきゃ、それでもいいさ。警察だって捜査してんだぞ」
「行方不明になった人は見つかったのかな」 遥が小首をかしげながら呟いた。
「誰一人見つかってないってよ」
「ジイさんやバアさんの身元は?」雄介も少し気になってきた。
「それも不明。変な話だろ? 何処の誰だかわからないってのは、気味悪いぜ」
「この町の誰かが行方不明になったって話、聞いたことない。ニュースにもなってないだろ。何でお前が知ってんの?」
「行方不明になったのは、町のやつらじゃないらしいけどよ。オレ、オヤジと警察署長が話してるのを盗み聞きしたんだ。ホラ、オレのオヤジって消防団の団長じゃん? 山狩りをするときは協力してくれって頼みに来たんだ。あの山に不老不死の泉があるってデマがとんで、山に登って帰ってこない奴がいるらしい」
 いつのまにか、何人かの同級生が三人を囲むようにして話を聞いている。
「不老不死の泉だって? 面白そうジャン。その山にのぼってみたーい」間延びした声で話しに加わったのは、奈美だった。それをかわぎりに、
「その話がほんとかどうか、試そうぜ」
「こんな近くにあるのに、行ったことないもんな」
「探検っていうのはどうだ?」と周りで勝手なことを言う。
「じゃあ、みんなで行く? ここには弱虫はいないよね」遥が健二と雄介の顔を見比べた。
「行ってもいいけどよ、何かあっても知らねえからな」健二は幾分不安げに、しかし、少し誇らしげに答えた。
 山行きは次の日曜日、六時半に駅の改札口に集合と決められた。

 当日、集合場所に来て見ると、遥はすでに改札口のそばで切符を手に待っていた。
「ユウスケ、こっちこっち。切符買ってあるから」
 休日のせいか、駅に人影はまばらだった。
「あれ? 他のやつらはまだ? ショウタだけ?」 雄介は遥の隣で所在無げに立っている翔太に目を留めた。クラスでは目立たない存在で無口、鳥のようなまん丸の眼をしている。
「そ、みんな親に反対されたらしくてさ、結局行くのは、ここにいる三人とナミとケンジで五人だけになっちゃった」
 やがて、健二と奈美がかかとを引きずるようにして歩いてきた。リュックは背負っているものの、背中にぶる下がっているだけで、今にも落ちそうだ。
「わりーわりー。コンビニで弁当買っていたらよう、遅くなっちまって。待たせたな。人数、これだけ? 少ねえなぁ。ま、言っても仕方ねえな、出発しようか。山の麓はここから二十分くらい。三つ目の駅だ」
 健二を先頭に、五人一列になって列車に乗り込む。プラットフォームを秋の心地よい風が通り過ぎていった。


      *     *     *     *  


 足元に流れる水と、岩に当たって跳ね返る水しぶきとで、全身ずぶぬれになる。
 掴んだ枝が折れて、バランスを失った。
 落ちたら最後だ。
 腰で岩を滑りながら、枯れ木にしがみつく。
 助かった。
 大きな息を吐くと、また岩を登る。
 光に向かって……。


      *     *     *     *  

 列車を降りると、目の前に登山口と書かれた木製の道標があった。朽ちた木と薄くなった文字が年月を感じさせる。
「ちゃんとした道があるじゃねえか。不老不死の泉はやっぱデマだな」 健二が拍子抜けしたように言う。
「ほんとだねー。なんかがっかりじゃん?」 奈美も調子を合わせた。
「とにかく行ってみようぜ」
 登山道の両側には、ススキの穂が風にゆれ、色づき始めた木々の枝がそよいでいる。冷たい風に首筋をくすぐられ、雄介は身震いした。道は落ち葉で敷き詰められ、歩くとキュッキュッと音がする。
「ふかふかの落ち葉の上を歩くと、体が沈むような気がしないか?」 雄介は並んで歩いている遥に囁いた。
「うん、そのままずーっと沈んでいっちゃったりして」
「脅かすなよ。なんとなく気味悪いんだから」
「ユウスケって、意外と臆病なんだ」 遥は、道端から引き抜いた何本かのススキを振り回しながら笑っている。
 この山には何かある、引き返したほうがいい、そう雄介は言いたかった。遥に臆病と言われては、その言葉も飲み込むしかない。
「ここにこんな小さな花が咲いてるよ。ナミおいでよ」 遥はススキを放り出して、小さな紫色の花を摘んだ。二人は幼い子供に戻ったように嬉々として、咲いている全ての花を手に持った。
「女ってのは、変なもんが好きなんだな。すぐ捨てるくせによ」 ケンジが呆れたような声を出した。
 遥が皆に配ってくれた飴をほおばり、小一時間ほど軽口を言い合いながら登っていくと、まだ葉をつけている木々の枝が道に覆いかぶさり、日の光を遮っている。


        

「この木見て!」 奈美が突然悲鳴に近い声を出した。太い木の幹に獣の爪痕のような傷がある。
「クマの爪あとかな……」木肌を裂くようにつけられた痛々しい傷跡は、自然に出来たものではない、と雄介は思った。
「この山にクマがいるって聞いてる?」 遥の声が心なしか震えている。
「聞いてねえよ。クマの爪って決まったわけじゃなし、びくびくすんなよ」
「そうだよねー。驚いて損した」 奈美がふーっと息をはいた。
「ケンジ、クマよけにそこの枝を何本か折ってくんない?」
「そんなんで、クマよけになるかよ」 と言いながらも、健二は葉の多くついている枝を三本ほど選んで、奈美に手渡した。自分も一枝折って、持っていた輪ゴムで起用にパチンコを作る。
「オヤジに教わったんだけどよ、これ、結構飛ぶんだぜ」 小さな石をゴムに挟み、空に向かって発射した。バサッと音がして、何かが落ちた。枝に止っていた運の悪い小鳥にあたったらしい。
「ウヒョウ―。獲物にあたった。大成功!」
「よしなよ、可哀想じゃないか」
「ハイハイ、やさしいユウスケクン。オコトバに従いますよ」 健二はパチンコを道端に投げ捨てた。
 緩い勾配の山道は、たいした負担とも思えないが、日ごろ鍛えていない体が、そろそろ音をあげ始めている。小川のせせらぎが喉の渇きを思いおこさせた。川とはいえ、川底にゴロゴロと転がっている岩の間を、水が流れているだけのものだ。
「この辺で休憩しよう」 健二の声にほっとして、川べりに腰を降ろす。
「アタシ、靴ずれができちゃったみたい」 麻のデッキシューズを脱ぎながら、奈美が顔をしかめた。
「山登りだって言ったじゃんか。そんな靴はいてくるやつがいるかよ」 口ではそう言いながら、健二は心配そうに奈美の足を見やった。かかとに水ぶくれが出来ている。
「そのままじゃ歩けないなぁ。引き返そうか?」
「へいきへいき、かかとを踏んでれば大丈夫だからさぁ。心配しなくていいよ」
「そうか? 無理すんなよ」 と言いながら、持ってきたペットボトルのスポーツドリンクを飲み干した。しばらく手でもてあそんでいたペットボトルを健二は小川に向かって放り投げた。
「ペットボトルなんか投げるなよ」 いままで存在さえ忘れるほど静かだった翔太が、声を荒げた。健二は驚いたように翔太を見つめた。
「ペットボトルがカラになったら、小川の水を汲んでおいたほうがいいと思わん? これから水が大事になるよ」 大声を出したことに自分でもびっくりしたのか、頭を掻きながら説明する。
「それもそうだ」 健二はおとなしく言うと、ペットボトルを拾いに小川へと足を踏み入れた。
 そのとき、足を滑らしたのか、健二がしりもちをついた。水流が急に速くなり、健二を下流へと運び始めた。
「大変だ、ケンジが流される!」 翔太が叫んだ。しかしどうする術もない。残された四人は呆然と見送るほかは無かった。
水量もわずか、流れもきつくない小さな川で何故? 疑問が雄介の頭の中を駆け巡った。 「助けに行かなきゃ! ナミはそこで待ってろ。無理するな」
 われに返って奈美を除く三人は下流へと川沿いを走った。こんなに小さな川だもの、遠くへ流されるはずがない、すぐみつかるさ。その辺の岸で照れ笑いしているかもしれない。誰もがそう思った。しかし健二の姿はなかった。
「どこまで流れて行っちゃったんだろう……」 遥は泣き出しそうだ。
「大丈夫だよ、見つかるよ」 雄介が遥の肩に手を置いた途端、背後で叫び声がした。
「見ろよ!」 翔太だった。大きな木を指さしている。
「もう、ヤダ!」遥は地面にうずくまり、大声で泣き出した。幹に太い爪あとがついている。
「戻ろう。町へ戻って助けを呼ぼう。だからもう泣くな」 雄介が宥めても遥は泣きじゃくるだけだ。
「ケイタイは通じないし、僕、一人で戻るよ。ショウタはここでハルカを見ていて」
 一人で戻るのは怖いけど仕方ない、と雄介は覚悟をした。翔太は丸い眼を余計丸くしている。
「ひとりで大丈夫かなぁ」
「この際、仕方ないだろ。ナミが待ってるんだから。それよりハルカを頼むぜ」 雄介は踵を返すと、来た道を走り始めた。
そんなに遠くのはずはない。雄介は腕時計を見た。
朝六時に集合。
休憩場所に着いたのが八時半ごろ。
現在、十時半。
逆算して、一時間ほどで休憩場所に戻れる。
奈美のことも気にかかる。置いてくるんじゃなかった。


                    


 たしか、細い何本もの幹が一つに編みこまれたかのような大木があったはずだ。雄介はその木を目指して川岸を上流へと走り続けた。
 何かおかしい……。
 雄介は不安を感じて辺りを見回した。先ほど見た風景と同じようだ。岩と水と木だけの世界は、どこをみても大差ないとは思う。しかし……。
 時計を見ると、既に十二時半を回っている。そろそろ着いてもいい頃だ。走る力は残っていない。雄介は重くなった足を引きずるようにして歩いた。進んでも、進んでも、回りの景色は変わらない。
 やっぱりおかしい……。まるで迷路のように同じ道をぐるぐると巡っているような気がする。雄介は道端の木の一つに石でX印をつけ、木の根元にその石を置いた。
 特徴のある木や岩を脳裏に焼き付けながら歩いた。印をつけてから三十分ほど経った頃、前方に見覚えのある木が出現した。そして、根元に石も。
まさか……。雄介の頭はぐるぐると回った。
雄介はその場に倒れるように両膝をついた。一体何事が起こっているのか、雄介には理解できなかったが、少なくとも歩き続けるのは無駄だと言うことだけは確かだ。
(どうしたらいい?)自分に問いかける。
(ナミはどうしているだろう)
(川から離れて、森へ入ってみるか……。いや、迷うだけだし……)
 目の前には川がある。健二はあの川に流されて……。
 そうだ、川に入ればいいんだ。ここにいてもどうにもならない、なら、川の中を健二が流された方向へ歩いてみよう。幸い、泳ぎには自信がある。雄介はふらつく足を川まで運んだ。
 水は冷たく、水流は思ったよりはるかに急だった。あっというまに足を捕られて、雄介はしりもちをついた。水は雄介を猛スピードで運んでいる。岩だらけの川底のはずなのに、痛みを感じない。水煙に囲まれて流されていくうちに、雄介は意識を失った。


      *     *     *     *  


 光の向こうには元の世界がある。
 登らなければ戻れない。
 体力は限界に近い。
 渇きで喉がひりひりとする。
 そこに水はある。
 手が届かない。
 水筒はリュックの中だ。
 手に力が入らない。
 苦しい。


      *     *     *     *  


 遠くで音楽が聞こえる。不思議な音だ。強いて言えばピアノの高音に似てるが、もっと柔らかい。雄介はゆっくりと目を開けた。音はどこから来るのだろう。
 辺りは暗く、ぼんやりとしている。一体なにがあったのか、ここはどこなのか、雄介は考えることもなく、ただ宙を見つめていた。
「ユウスケ、気がついた?」ナミの声がする。
「ナミ? ナミもここに?」
「うん、ユウスケも流れてきたときは驚いたけど……」
「流れてきた……。僕も?」
「そう、ここは洞窟みたいなんだよ。川の終点の洞窟」
 雄介の頭はまだぼーっとしていて事態が把握できない。健二を探そうと、川に足を踏み入れたところまでは覚えている。
「心配してたんだ。ナミをひとりで置いてきたから」 徐々に記憶が戻ってきた。
「ひとりになって、心細くて、ケンジが心配で、川に入ってみたら……」
「流されたんだね」
「うん、あっという間だった。怖かった……。気がついたら、ここにいて、ユウスケも流れてきたから、ちょっと安心したんだ」
「ケンジは? 同じように流されたんだからケンジもいるはずだよね」
「アタシだけ。他に誰もいない」
ケンジはここへ流れてこなかったのか?
 突然、雄介は気がついた。二人とも流されてきた、と言うことは、全身濡れているはずだ。だが服も体も乾いている。
「ナミ、びしょぬれじゃないか?」
「アタシ? 濡れてないよ。なんで?」キョトンとした声でナミが答える。
 雄介は暗闇に慣れてきた眼で、ナミを見つめた。奈美は気がついていないのか、気にならないのか。ともかくこの洞窟を調べてみるのが先決だ。雄介は起き上がって、あたりを見回した。漆黒と言うわけではない。どこからか薄明かりが射しているようだ。
「なんか音がするけど、音楽みたいな……」
「あれね、水の音」
「水の音?」
「うん、岩に水が跳ね返る音」
 水琴という言葉を思い出した。どこかで聞いた音のような気がする。
「アタシも気になって、探したんだ、音がどこからくるのかなって。そしたら、奥のほうに小さな泉があって、そこに水が落ちてくるんだよ」
 ナミに案内されて、手探りで洞窟内を移動する。周囲よりほのかに明るくなった場所に泉があった。上から滴る水が泉に落ちて、周りの壁に反響している。見上げると、遠くに光が見える。ここを登れば外へ出られるかもしれない。
(どうやって上る? ナミは登れるだろうか)
「ユウスケ……」 奈美が囁くような声で呼んだ。
「なに?」
「誰かくる……。足音が聞こえる……」 奈美の震えが雄介にも伝わってきた。
「ケンジだよ、きっと」安心させるように囁き返す。二人は光から逃れるように、うずくまった。
 足音が止った。水の落ちる音と、息遣いだけが聞こえる。
「そこに誰かいる?」 翔太の声だった。
「ショウタ! 驚かすなよ」 雄介の全身から力が抜けた。
「ショウタがなんでここにいるんだ? ハルカは?」
「ワタシはここ」
「ハルカ! 良かったよー。心配したよー」 ナミは涙声だ。
「ナミ! ナミも落ちてきたの?」
「こっちは流れてきたんだけど」 雄介が代わりに返事をする。「落ちてきたってどういうことだよ」
 雄介と別れた後、遥と翔太は爪跡のあった木から離れようと、枯葉で覆われた道へ出た。枯葉を踏みしめた途端に、二人はずぶずぶと沈み始め、この洞窟へ落ちてきたのだと言う。
「と言うことは、もう一箇所、外へ出る場所があるってことだね」
「もう一箇所?」翔太が怪訝そうな声を出した。
「そう、この泉の上と、君達が落ちてきたところと」 雄介は考え込んだ。意識を失っていたから、いったい何処からここへ来たのか分からない。あの泉の上かもしれない。翔太達は川からではないという。では、別の出口があるはずだ。健二を探して、皆で脱出方法を考えないと。
「ケンジをみなかったか?」 雄介は翔太の顔を見た。
 翔太も遥も首を横に振る。 「まず、ケンジを探そう。はぐれないようにみんな手を繋いで」
 雄介を先頭に、四人はそろそろと洞窟内の探索をはじめた。雄介は左手を壁に、もう一方の手は遥と繋ぐ。壁を伝いながらゆっくりと進む。戻るときは、右手を壁につけばいい。
 しばらくすると、前方に上からから射しこむ光の帯がみえた。
「あそこにも出口があるぞ」 雄介の弾んだ声が岩にこだました。
「泉のところより、明るい光だ」
「あそこからワタシタチ落ちたのかもしれない。……ユウスケ、だれかいるみたいだよ。ホラ、そこ」 遥が囁く。
「ケンジか?」 四人は走り出した。
 光を受けてうずくまっていたのは健二ではなかった。
「ジイさんじゃん」 奈美が甲高い声をあげた。
そこには老人が横たわっていた。眼に生気がない。こんなところに何故老人が? 雄介は健二の言葉を思い出した。
―記憶喪失のジジイやババアの迷子が―
 まさかあの話は本当か? 雄介の背筋を悪寒が走った。
「大丈夫ですか?」 と老人の顔をのぞきこむ。
「み……ず……」 微かに聞き取れた言葉はそれだけだった。
「水が欲しいらしい。泉のところまで運んでいこう」 珍しく翔太がきっぱりと言った。
「僕、水筒持っているからここで少し飲ませてからにしよう」 雄介は水筒から少量の水を老人の口へ流し込んだ。
「ち……が……う……」
「ちがうって、なにがだろう」


       *     *     *     *  


 光はだんだんと明るくなる。
 もう少し、もう少しだ。
 地上に出れば、水もある。
 助けも呼べる。
 もう少し、もう少し頑張らないと……。


       *     *     *     *  


 老人ばかりでなく、全員が喉の渇きを覚えていた。泉に戻ると手に水をすくって飲もうとする。
「ちょっと待った!」 止めたのは翔太だった。
「この水が飲めるかどうかわからないよ。殺菌しないと腹こわすかもしれない」 とポケットから小さなマドラーのようなものを取り出した。
「雄介、水筒の外蓋貸して」
コップ兼用になっている蓋で泉の水をすくう。その中にマドラーを入れた。
「そのまま少し置いて、それから飲めば大丈夫。その小さな棒に殺菌作用があるから」
「用心深いんだなぁ」雄介は感心した。
「山へ入るときはいつも持ってるんだ」
 遥と奈美は交代で水を飲んでいる。
(こういう時は、女が優先だよなぁ)雄介は自分の水筒に口をつけてごくごくと飲んだ。翔太も同じように思ったのか、二人が存分に飲み終わるまでじっと待っている。老人は横になったまま動かない。
 空になった水筒に、泉の水を入れた。飲むときに殺菌すればいいや、そう思ってそのまま中蓋をし、リュックにしまった。
「この水、めちゃ美味しいよ」満足げに遥が言う。
「うん、いくらでも飲めちゃう」 奈美の口端から水が滴り落ちた。
 二人の声がしわがれている。
「ハルカ、ナミ、どうかしたのか? 声が変だ」
「アタシノコエ、ヘン」奈美の声はますます掠れて、老婆のようだ。
 二人はその場に崩れるように座った。雄介は慌てて傍に寄る。ハルカの手をとろうとして、思わず自分の手を引っ込めた。目の前に、骨ばって静脈が浮いているハルカの手があった。骨に皮が張り付いているだけの手。奈美の手も同様だ。
「一体、何が起こったんだ……」 雄介は老婆になった二人を呆然と眺めていた。
「このサンクチュアリを犯すものに罰を与えた」 低い声が後ろから聞こえる。
 振り向くと鋭い爪を持った、雄介の背丈ほどある大きな鳥がじっと見つめている。眼に見覚えがあった。
「ショウタ……。そうだ、ショウタなんて同級生にいなかった……」
「私はこの山の主の従僕。この神聖な山を汚すものは許さない。お前達の計画を知った時、私を同級生と思い込ませ、お前達に同行した。ここに横たわっているのは、健二、遥、奈美の三人だ」
「泉の水を飲んだから……」
「いや、そうではない。私が水に入れた棒は一秒で一年、その水を飲んだ者に作用する。つまり、六十秒入れれば、六十年歳をとるわけだ。三人が何秒その棒を入れるかは、山の主が決めている。彼らはコントロールされているとも知らず、自らの手で老人になったのだ」
「……僕は」
「私はこの三人を地上に運ぶ。お前には自力で脱出する機会が与えられた。この泉の上は地上に繋がっている。無事脱出できたら、それは山の主がお前を許した証。そのまま家に帰るが良い」
「脱出できなかったら……」
「ここで泉の水を飲みながら、再度挑戦するもよし、この棒を貸してもよい。老人になれば私が地上に運ぶ」


       *     *     *


 雄介は最後の力を振り絞って、手を頭上に伸ばした。柔らかい枯葉が手に触れた。両手でぐっと体を引き上げる。
太陽の光が眩しい。眼に映る木々は美しい紅葉を見せていた。
辺りを見回しても、三人の姿はない。どこに運んだんだろう。
雄介は枯葉の上に横になり、手足を伸ばした。体内の水分が全て蒸発したように感じる。。
水筒からじかに水を飲む。冷えた水は体中の細胞を活性化させるようだ。
ざわざわとした人声がユウスケの耳に飛び込んできた。山を登ってきた団体らしい。捜索隊かもしれない。
「おーい、ここにも誰かいるぞー」
 助かった、家へ帰れる。
「登山口で老人三人を保護したと思ったら、今度は赤ん坊かよ。いったいどうなってんだ?」
(赤ん坊? 僕のほかに赤ん坊がいるのか?)
「おいおい、大人の服を着た赤ん坊だ。よしてくれよな、誰がこんなところに捨てたんだ」
 雄介は起き上がろうとした。が、体が動かない。「助けてください」 と言おうとして耳を疑った。
「フギャー。フギャー」これ、僕の声?
 やがて雄介の頭に靄がかかりはじめた。
「救急車を呼んでくれ。元気そうだが早く病院へつれていかないと」
その言葉を最後に、雄介は何も分からなくなった。


                            了





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