霧は招く







君は信じないかもしれないけれど、僕が体験した不思議な出来事を、君にだけは話しておこうと思う。

それはまだ冬の寒さが残る三月のある日、一人で山へ出かけた時の事だった。
その頃、何もかもがうまくいかないように思えて、僕は煮詰まっていた。
誰とも顔を合わせたくない、一人になりたい、そんなことばかり考えていた。
現実から逃避したかっただけなのかもしれない。
登りなれた低い山だったから、僕は考え事をしながら、でも、ルートを外れることなく進んでいった。
一時間ほど歩いただろうか、気がつくと、今まで見たことのない風景に出くわした。
葉を落とした木々が、道の両側にまるでトンネルのように覆いかぶさっている
この山にこんな場所が?
今までの記憶を手繰ってみた。
何回も来ているが、こんな風景は見たことがない。
しかも、濃い霧がトンネルの先を隠していた。
霧の向こうにはなにがあるのだろう?
僕の求める世界があるのかもしれない。
そんな都合のよいことも考えた。
何かが僕を呼んでいるような気がして、足をトンネルへと踏み出した。
その時、肩を誰かに掴まれた感覚がした。
思わず振り返った。
誰もいない。
でも、僕にはうっすらと君の顔が見えた。
「行ってはだめ」 と君の声も耳に届いた。
僕は我に帰って君の名を呼んだ。
その時、確信した。
僕にとって、君ほど大事なものはないと。
霧で霞んだトンネルは跡形も無く消え、目の前には、見慣れた草原が広がっていた。
あの霧の彼方に何があったのか、僕は知らない。
知っているのは、君が僕を助けてくれた、その事だけだ。

君は信じないかもしれないけれど、これが僕が体験した不思議な出来事なんだ。